上祐史浩 プロフィール

上祐史浩 プロフィール

上祐史浩

上祐 史浩(じょうゆう ふみひろ)
宗教団体ひかりの輪代表

福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)出身。
早稲田大学高等学院卒業、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。

大学院を出た後宇宙開発事業団に就職するも1ヶ月で退職し、出家信者となった。
1992年よりロシア支部に派遣された。
サリン事件後マスコミでオウム真理教の報道が過熱するようになると、教団の広報責任者として青山吉伸や村井秀夫らと共に、連日朝から晩までテレビやラジオに出演し、オウムに批判的なあらゆる意見に対して徹底的に反論していた。

この時に見せたパフォーマンスから、「ああ言えばこう言う」を捩った「ああ言えば上祐」という流行語が生まれ、

「オウム真理教は事件に関わりがあると薄々気づきながら、当時はマスコミに無関係だとウソをつき続けていた。自分はウソツキだった」と告白した。また、サリン事件が教団が起こしたものだと麻原に伝えられたのは帰国して1ヶ月後(村井秀夫刺殺事件の後)で、一連の事件の全貌を知ったのもその頃だったと語っている。

麻原の側近と目される教団幹部であったが、一連のオウム真理教事件では1992年以降はロシア支部にいたこともあり、教団本部の共謀や実行の場にいなかったことや、炭疽菌テロを目論んだ亀戸異臭事件で被害が出なかったことなどで、重要犯罪事件で起訴はされなかった。

熊本県波野村の土地取得をめぐって、国土利用計画法違反事件で1995年10月7日逮捕、偽証と有印私文書偽造・同行使の罪で10月28日に起訴される。裁判では懲役3年の実刑判決を受けた。

1999年の出所後、2002年にアーレフで代表となるも、「一連の事件を反省し麻原の影響を排除する」という改革を打ち出したため主流派(麻原回帰派)の強い反発を受け、翌年にも事実上失脚。「修行」として自室に軟禁されるようになる。その後も内部分裂が進み、2007年3月8日にアーレフを脱退。同年5月7日に麻原の教義を完全排除したとする新団体「ひかりの輪」を設立して、代表の座についた。

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