マニフェストとは何なのか(北川正恭)
マニフェストという概念は2003年に北川正恭(きたがわまさやす)氏が統一地方選挙で採用し、その年の流行語大賞に選ばれて一気にブレイクした。マニフェストはローカルから中央のパーティーマニフェストへと広まっていった。
しかし、マニフェストの正しい意味を理解している人はまだ少ないと思われる。
マニフェストは従来の”公約”といったいどこが異なるのだろうか。
- マニフェストとは政権公約で後から検証できる数値目標を必要とする。
- マニフェストとは税金を払っている主権者、国民との契約であり個別の利益誘導はしない。
*政権をとっていない政党の個人がマニフェストを示したり、公約をすることは詐欺であり、違反である。なぜなら政治は個人の力で利益誘導する性質のものではないからだ。これまでの公約はWish List 願望の羅列でしかなかった。
*マニフェストは小選挙区制向きで2大政党制の現状に合っている。
マニフェスト型選挙
1995年 地方分権推進法が成立した。
これにより日本は長い時間をかけても中央集権から地方分権へ進んでいく長期戦略が決定された。
しかし国に補助金、地方交付税など財源を握られていると知事が予算を組むのは不可能である。進歩的な知事は政治主導の道具としてマニフェストを取り入れるようになった。
バラマキ政策はカネの余っていた高度経済成長時代のもの。
当時は要求より税収のほうが多く、いい加減な公約でもそれほど問題にならなかった。
しかし1985年、プラザ合意による為替の急激な変動により経済情勢は一変し、その後バブルとその崩壊を経て経済の成熟期に入った日本はそれまでの蓄えを使い尽くし、財政の穴埋めのために国債を発行しなければならない段階に入った。
政党や政治家の役割は有権者の何でも要求をかなえるバラマキ型の政治から、選択と集中を必要とする政治へと大きく変らなければならなくなった。
その役割を果すために、選挙の前に苦い薬の入ったマニフェストを示すことが求められるようになった。これがマニフェスト型選挙の登場である。
紙の文化しか想定していなかった時代は法律上、マニフェストを配ることが許されなかった。
したがってネットの登場により、公職選挙法の改正の必要になった。
若者を政治へ参加させ、政治への関心を高めるために投票権年齢の引き下げが必要である。
投票は義務ではなく、権利である。
そのことを理解している北欧では投票率が70~80%と日本よりはるかに高い。
野党は政権をとったことを前提にマニフェストの質を高め、期待票を集める選挙をしていくべきである。
各政党がマニフェストの中身を競い合い、政策を実現することで真の民主主義が可能になっていくであろう。
2010年07月09日 コメント&トラックバック(0) | トラックバックURL |
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